8月27日(日)、午後2時30分より志津コミュニティセンター(視聴覚室)で、「さくら・志津憲法9条を守りたい会」主催の「戦争体験・憲法と私」と題した集いが開かれました。共同代表・高塚一成さんよりの開会挨拶の後、地元の3人の方の戦争体験をうかがいました。参加者は予想を上回る45名でした。
<戦争体験の重さと衝撃>
前半、地元3人の戦争体験者のお話は重く、衝撃的なものでした。撃沈した輸送船から投げ出され、日本兵の遺骸から軍服や塩・コメなどを剥いで生き延び、捕虜となって食したサンドイッチのうまさに米軍の強さを思い知ったという鵜野さん。敗戦後、東北の農家から北海道の炭鉱の町に嫁ぎ、朝鮮戦争特需と休戦による首切りなどと、苦難を乗り越えてきた高橋さん。終戦の詔勅も「いよいよ決戦だ」と思って聞いたが、兄弟四人が無事帰還した一家は、多くの戦死者を出した村の中では肩身が狭かったという古屋さんは孫子を戦場に送らないために憲法9条を守りたい、と結びました。その後、小説やエッセイの朗読がありました。
<憲法9条の危機真っ只中>
後半のリレートークでは、障害者を生み出す最大の原因であった戦争、障害者の暮らしをさらに劣悪に追いやる戦争について解説する通所施設を運営する奥山さん。地元選出の県議会議員大野さんからは、千葉県における憲法九条をめぐる危機的な状況について報告されました。会場からは、「19歳の息子を見ていると、もし徴兵や徴用に直面したら逃げ出すにちがいないと思うけれど、当時の青年たちはどうして素直に従ったのか」の質問に、時代の流れとその流れを作り出した教育の恐ろしさが語られました。また、家族にも話せなかったという中国兵への殺害行為を患者さんから告白された元看護師の体験談には胸に迫るものがありました。佐倉の歴史を研究する山倉洋和さんからは、郷土の歴史にこだわりながら憲法9条にかかわりたいとした閉会の挨拶がありました。手作りの会ながら、参加者は、中身の濃い集いになったことを喜び、今後の幅広い活動に期待が寄せられました。(九条の会メールマガジンより)
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