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千葉県下各地・各分野の9条の会の活動紹介


2006年の活動から 

12月23日
ビデオ鑑賞・憲法学習会に50名が参加/長生村9条の会
 長生村9条の会は12月23日、「ビデオ鑑賞・憲法学習会」を行いました。当日の参加は50名を超え、初めての方も何人かいらっしゃいました。「はだしのゲン=2」は、被爆後の被災者の実態、苦悩を赤裸々に訴えるもので、皆さん涙・・・。石井俊雄村長の、「非核平和都市宣言」が議会で承認され、垂れ幕を掲げることになったとの報告は、皆に勇気を与えました。鈴木守弁護士の憲法のお話は、基本的な点を詳しく説明され、まとまっていて解かりやすかったと評判でした。
12月12日
「津田沼九条の会」が発足しました
 津田沼九条の会は、今年6月、15人が呼びかけ人となり、7月結成準備会、9月憲法九条学習会、10月教基法改悪問題学習会を行ってきました。そして、12月12日、講演と合唱による発足記念集会を開き60人が参加しました。
12月2日
「ふなばし憲法九条の会」が発足しました
 12月2日、船橋市民文化ホールで「ふなばし憲法九条の会」結成集会が開かれました。1年間準備し、82人の呼びかけによるものです。参加者は約400名。
 当日は人形劇団「ひとみ座」による「9条君の運命」を上演。そのあと2人の発起人のあいさつ。準備会事務局から経過、申し合わせ事項、活動、運営委員の提案がありました。船橋中に「九条守ろう」の声を広げるため多種多様な活動を展開していくことを確認し合いました。ロビーでは各地域・分野の9条の会がのぼりを立て交流をしました。
11月23
「スポーツ9条の会・千葉」が発足しました
 
10月9日
「千葉・九条の会」発足に向けた相談会開く
 10月9日、千葉市で上記の相談会が開かれました。「千葉・九条の会」は千葉県をカバーする意欲を持ってスタートしましたが、県下に多くの会が出来た今、
(1)県内の情報交換・経験交流の役割を担う(ホームページ・ニュース)。
(2)各分野・地域・職場・学園に「九条の会」結成を呼びかける。
(3)学習会への講師派遣・県または地域ごとの交流会の開催に協力する。

などの役割を主とした活動を基本にしたい、そのためにも各会の意見を聞きたいとの趣旨で開いたものです。
 「九条の会」から事務局の高田健氏が参加し、「他県でも九条の会は県・地域・町村など会の大小問わず対等平等、ピラミッド型はダメ」との示唆があり、討論でも「すべて横並びが九条の会の良いところ」「会のない地域をカバーせよ」「講師斡旋の役割を」などの声が相次ぎました。これらの声を真摯に活かして意味のある会にしたいと思います。
9月26日
「9条の会・銚子」、安倍新内閣の9条改悪政策に反対する声明発表
 9条の会・銚子は9月26日、「安倍新内閣の9条改悪政策に反対し、平和憲法堅持を強く訴える」とした声明を発表しました。
 声明は、現行憲法、特に前文と9条とを「テロと報復戦争の止まない世界と、その中で果たすべき日本のあり方を示す指針」として、また教育基本法を「世界の平和に教育のちからを通じて貢献する」ことを示していると捉えた上で、「このかけがえのない価値を、『押し付け』などの見え透いた口実で放棄し、他国に追従して『戦争をする国』に変えることは許されません」と、安倍新内閣が憲法と教育基本法の改定を基本政策に挙げていることに対し、明確に反対を表明しています。
 この声明は、安倍総理、衆参両院議長などに送付されました。
9月9日
「若葉九条の会」、都賀駅前でビラ配り
 若葉九条の会は9月9日、初めてJR都賀駅でビラ配りをしました。ビラの内容は表面が9.18学習集会「子どもの教育と平和のつどいー教育基本法と憲法ー」案内、裏面が憲法と教育基本法の性格と精神に関する簡単な記事でした。1000枚のビラを用意しました。参加者は12名でした。
 10時に集合し、九条の会の旗を立て、参加者はゼッケンを胸に付けて、10時20分から11時20分までの1時間、約450枚のビラを配ることができました。初めてのことなのでどうなるかと心配しておりましtが、3〜4名に一人はビラを受け取ってくれ、反応は大変良く、「やってよかった」との感想が出されました。わっと多くの人が通るときより、ぽつぽつと通るときのほうが良く受け取ってくれたようです。残り約550枚は分担して学習集会会場周辺の地域で各戸配布しました。
 同会では、11月3日には、千葉市九条の会などと協力して、千葉駅などで街頭宣伝ができたらと話しています。
9月2日
「かしわ9条の会」設立総会に200人が集う

 月2日、柏市中央公民館で「かしわ9条の会」設立総会が開かれ、会場がいっぱいになる200名以上が参加。今後の「会」の発展の決意を固めあいました。
 柏市では今年4月、有志が誘い合って第1回相談会を持ち、9条の会設立の準備をスタートさせました。その後、短期間で幅広い層から100名の呼びかけ人と200名近い賛同人が集まり、設立にいたったものです。

 総会では小森陽一「九条の会」事務局長が「9条を守る新たなネットワークを」と題して記念講演。自民党新憲法草案と教育基本法改悪案の深いつながりを鋭く、そして熱く語りました。

 

 

8月27日
「さくら・志津憲法9条を守りたい会」が手づくり集会

 8月27日(日)、午後2時30分より志津コミュニティセンター(視聴覚室)で、「さくら・志津憲法9条を守りたい会」主催の「戦争体験・憲法と私」と題した集いが開かれました。共同代表・高塚一成さんよりの開会挨拶の後、地元の3人の方の戦争体験をうかがいました。参加者は予想を上回る45名でした。

<戦争体験の重さと衝撃>

前半、地元3人の戦争体験者のお話は重く、衝撃的なものでした。撃沈した輸送船から投げ出され、日本兵の遺骸から軍服や塩・コメなどを剥いで生き延び、捕虜となって食したサンドイッチのうまさに米軍の強さを思い知ったという鵜野さん。敗戦後、東北の農家から北海道の炭鉱の町に嫁ぎ、朝鮮戦争特需と休戦による首切りなどと、苦難を乗り越えてきた高橋さん。終戦の詔勅も「いよいよ決戦だ」と思って聞いたが、兄弟四人が無事帰還した一家は、多くの戦死者を出した村の中では肩身が狭かったという古屋さんは孫子を戦場に送らないために憲法9条を守りたい、と結びました。その後、小説やエッセイの朗読がありました。

<憲法9条の危機真っ只中>

後半のリレートークでは、障害者を生み出す最大の原因であった戦争、障害者の暮らしをさらに劣悪に追いやる戦争について解説する通所施設を運営する奥山さん。地元選出の県議会議員大野さんからは、千葉県における憲法九条をめぐる危機的な状況について報告されました。会場からは、「19歳の息子を見ていると、もし徴兵や徴用に直面したら逃げ出すにちがいないと思うけれど、当時の青年たちはどうして素直に従ったのか」の質問に、時代の流れとその流れを作り出した教育の恐ろしさが語られました。また、家族にも話せなかったという中国兵への殺害行為を患者さんから告白された元看護師の体験談には胸に迫るものがありました。佐倉の歴史を研究する山倉洋和さんからは、郷土の歴史にこだわりながら憲法9条にかかわりたいとした閉会の挨拶がありました。手作りの会ながら、参加者は、中身の濃い集いになったことを喜び、今後の幅広い活動に期待が寄せられました。(九条の会メールマガジンより)

 

 

8月27日
 
茂原9条の会が第2回憲法学習会、東京大空襲などの体験を聞く
 茂原9条の会の第2回憲法学習会が8月27日、茂原市総合市民センターで行われました。講師をつとめられた品田芳子さん(東京大空襲体験者)を朝日新聞の千葉版がトップ記事として取り上げたこともあって、大勢の人がつめかけ60名以上になりました。
 
たまたま兄の家に見舞いに行っていて3月10日の東京大空襲を身をもって体験した品田芳子さんと、海軍茂原航空基地建設のために強制移転させられた麻生o一さんがその体験を語りました。「映画やテレビでは知っていたがやはり実際に体験した人の話を聞くのはちがう」「茂原に長く住んでいるが強制移転の話は初めて聞いた」などの感想が寄せられました。
9月3日
「佐倉連隊」から「靖国」に至るメカニズム

  (四街道・九条の会主催の国立歴史民俗博物館「佐倉連隊展」を見学された方から感想です)
 佐倉連隊の兵営写真や模型で復元された内務班などを見ながら、昭和203月、縁故疎開していた群馬県から叔父に連れられて、宇都宮の師団まで病気除隊になった長兄を迎えに行った日のことを思い出しました。
  叔父の家に帰ってから、兄の頭を叔父がバリカンで刈ったとき、バリカンの刃にぼろぼろと垢がこびりついてきました。熱病で風呂にも入れないほど起居ままならなかった兄を、あの「真空地帯」さながらに下士官たちがいびりまくったのでしょうか。兄は、今日に至るまで宇都宮師団での出来事を一切口にしません。
  展示説明の中で佐倉連隊の千葉県出身戦死者の統計が目に止まりました。日清戦争から日中戦争までの40数年間の戦死者数は4,800人に過ぎなかったのに、太平洋戦争のたった5年間に10倍以上の5万2,800人が戦死していたのには驚きました。   この数字を見ながら、8月末の朝日新聞夕刊の連載記事「人脈記」を思い出しました。この記事の中で立教大教授の粟屋憲太郎は「戦死といっても3分の1は餓死。(兵站線が伸びきっていたため)日本軍は部隊に食料を現地調達させた。(その結果)中国では略奪し、南方では飢え、どんどん死んでいった」と語っています。そして、兵隊をこんなに粗末に扱いながら、勝手に靖国神社に祀って、それが戦後の繁栄の礎になったという美辞麗句は歴史の事実を隠すものだとも。
  海外派兵ができる「普通の」国にしようという動きを絶対に阻止しなければならないと思いました。佐倉連隊と靖国に象徴されるような「お国のために」国民の命を捧げさせるメカニズムを二度と作ってはなりません。
8月27日
「9条で救われた」、元731部隊員が体験語る
          ―旭市準備会が平和の集い
 8月27日、旭市「九条の会」準備会は、「第一回平和について考える集い」を旭市内で開きました。当日は22名が参加、元731部隊の篠塚良雄さんの体験談に約1時間半にわたって耳を傾けました。
 篠塚さんは15歳で少年隊に志願、東京での研修の後、満州ハルピンの731部隊に配属されました。「見るな、聞くな、言うな。脱走は処刑」という軍規が徹底され、1939年のノモンハン事件では培養したパラチフス菌を石油缶に入れ汽車で国境近くまで運びました。
 1942年には、あらかじめワクチンを投与した中国人捕虜
(マルタ)に大量の細菌を注射、生体解剖し内臓を取り出し培地に植えつけられることが行われました。篠塚さんは5人の中国人捕虜の殺害に加担しました。
 敗戦後は中国人民解放軍の捕虜となり、その後日本に帰還します。そうした中でいつしか侵略者としての自分の責任を追及する意識が生まれていきました。
 起訴免除となって日本に帰還する際の起訴免除の理由書には「日本は9条を制定して平和国家に生まれ変わった」という一文があります。「9条によって私達は救われた。9条は命かけてでも守るべきものです」とは篠塚さんの言葉です。
 参加者からは「これからも多くの人にこういう話を伝えてほしい」「18歳でフィリピンに行き、多くの仲間が死ぬ中帰ってきた父は、その体験を死ぬまで話してくれなかった。今思うと、大変つらい思いをしたに違いない」などの感想が寄せられました。
(旭市九条の会準備会ニュース「燎原の火のように」から)
7月29日
「四街道・9条の会」が歴博・佐倉連隊特別展を見学
  四街道市の「四街道・9条の会」が7月29日に国立歴史民俗博物館で開催中の特別展「佐倉連隊にみる戦争の時代」を見学しました。「四街道・9条の会」は「展示を担当したAさんの案内もあり、わかりやすく、歴博周辺のフィールドワークも面白かったです。佐倉城址は、何回も行ったことがありましたが、歴博周辺は初めてでした。今回は、27名の参加でした。弁護士九条の会の方も参加してくれました。県内の九条の会のみなさん社会見学として取り組むと良いと思います」と語っています。特別展は9月3日まで。
6月22日
船橋で四つの地域、職場「九条の会」が誕生
 船橋市で四つの地域、職場の「九条の会」がこの間相次いで生まれています。中山地域では6月22日に、この地域で古くから愛着のある地名である小栗原をとって「小栗原九条の会」がくしくも9人の人が集まって発足しました。代表世話人の有田洋子さんは「『憲法9条』ある限り平和な国であってほしいと願います」と語っています。
 6月24日には法典公民館に12名が参加して「法典9条の会」の第1回準備会を開き、討議のなかで「もっと人を集めて、準備会を重ね、機の熟したところで発会を」との意見も出ましたが「まず自分たちが歩み始めて、語り始め、広げ、秋には総会を開く」ことを確認し、この場で発足を確認しました。
 二和、八木が谷地域では、7月2日に船橋二和病院の健康管理センターで42名が参加して発足総会を開き「二和・八木が谷9条の会」が発足しました。地元の咲が丘に在住の元山健龍谷大学法学部教授が記念講演をおこないました。
 また、「船橋の教育関係者の中で9条の会をつくりたいね」の声があげられるなか、6月24日に「船橋教育九条の会」が発足しています。会は、船橋市内の教育に携わる人達が「憲法9条の改悪を阻止し、戦争をしない国づくりを続け発展させよう」と「九条の会」のアピールで一致した運動を進めることを確認しています
佐倉市志津地域で「9条守る会」準備会
 佐倉市の志津東地域の有志のみなさんが、5月に「この地域でも9条を守る運動にとりくみたいね」と集まり、地域の有力者や保守や革新の人を問わず「憲法九条を守る一点で会をつくりましょう」とよびかけをはじめました。
 よびかけてみると、憲法のすべてに賛成ではないが9条は守るべきという人もいて、元市議をやっていた人や大学教授など誰がみても超党派といえる方々が賛同してくれました。代表には少年兵の体験をもち保守とのつながりの広い方と団塊の世代の美術家の2人と11人の世話人もお願いし、事務局をやる人も名乗りをあげてくれ5月に1回、6月に2回の準備会を開きました。代表のおひとりの少年兵の体験談が好評でした。
 そうした中で会の名称を「さくら志津憲法9条を守りたい会―戦争をしない、させない、命がだいじー」という会を発会させようということなりました。そのため、8月下旬にイベントをもつこと、ニュースをつくり2000部配布すること、憲法の学習会を開くこと、若い世代からの参加者を広げ、戦争体験世代、団塊の世代、戦争を知らない若い世代などあらゆる世代から参加してもらうことなどを申し合わせ準備をすすめています。
6月24日
千葉市花見川区で「花見川区9条の会」が発会
 千葉市の花見川区では、6月24日に「花見川区9条の会―講演と交流のつどい」を開き、区内の花見川団地、長作・作新台、さつきが丘、西小中台、花園の6つの地域「9条の会」と健生病院友の会9条の会の代表など42名が参加して「花見川区9条の会」を発会しました。
 つどいでは、渡会久実弁護士が「憲法改悪のうごきは、いま!」と題して講演しました。このつどいには千葉市の若葉区の「9条の会」の代表も参加し「花見川区の9条の会は地域の会をつくるなかで区の9条の会をつくっているのはすごい。若葉区でも学びたい」とエールを送ってくれました。また会場の花園公民館の向かいにある朝鮮学校からも校長先生の代理の方が出席しあいさつしました。